2006年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年04月

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | コメント(-) | トラックバック(-) | TOP↑

≫ EDIT

戦争責任の探求 日本兵捕虜

東條

戦争責任の議論おいて、
「捕虜」の問題は必ずを言っていいほど持ち上がる。
捕虜の虐待・殺害など日本兵による捕虜の処遇の問題が中心であるが、
日本兵捕虜に関してはあまり議題にならない。

しかし、日本兵捕虜の問題について戦争責任論では外すことのできない
重要なテーマであると私は思っているので
第一回から述べる事にする。

■戦陣訓

戦陣訓 第八「名を惜しむ」

恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、
愈々奮励して其の期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。


戦陣訓は、1941年(昭和16年)1月8日、
陸軍大臣・東条英機が示達した、
陸軍軍人としてとるべき行動規範を示した文書である。

「生きて虜囚の辱を受けず」とは、
捕虜になることは恥であり、潔く死を選べという意味であるが、
元々陸軍に対するものだったので、
必ずしも海軍に浸透していたものではなかった。

しかしながら、全体的に見れば当時の軍人や
国民に大きな影響力をもっていたといえる。

家族が村八分になったり、
妹や弟の結婚に支障をきたすことを極度に恐れ、
多くの日本兵が命を投げ出した事も事実であった。

それだけ大きな影響力があり、
帝国軍人として一番苦痛であろうとされる「恥」を
心ならずとも受け入れなければならなかった日本人がいた。
それが日本兵捕虜である。

捕らえられた理由は、
戦場において絶望的状況に追い詰められ、
自暴自棄になって投降した者、或いは、戦闘で瀕死の重傷を負って、
自決する力もなくそのまま捕らえられた者など様々である。

兎に角、捕らえられたどの兵士も、「捕虜」という自分の立場を、
とてつもなく「恥じていた」


■驚くべき日本兵の行動

当初の内、捕虜となった事を恥じていた日本兵は、
殆ど深刻そうな顔をして心を閉ざし、
尋問官に対しても黙り込んでいた。
煙草を与えようがお茶を出そうが、殆ど打ち解けなかった。

ところが、何度も面会しているうちに、
日本兵は驚くべき行動を取るようになった。

尋問する側が驚くほど馴れ馴れしく話すようになり、
兵力の配置、装備の事など、
「こんなこと言ってもいいのか」と思うほど、
ありとあらゆる有益な情報を喋りだしたのである。


■日本兵捕虜は重要な情報源

卑屈なまでに戦陣訓を己に課した日本兵が、
意図も簡単に自白してしまうのは米軍にとってまさに驚きで、
当時残忍な黄色人種として軽蔑していた日本兵が、
重要な情報源になるとは思いもしなかった。

米軍は積極的に日系人を使って捕虜を尋問し、
日本兵からありとあらゆる重要な軍事情報を引き出し、
結果的に日本軍による神風攻撃など重要な軍事作戦を事前に予測し、
戦況を有利に進めていった。

■驚くべき行動の要因

日本兵は祖国の為に、天皇の為に、家族の為に、
米英を倒すべく敵愾心を燃やして実に勇敢に戦った。

では、なぜそのような日本兵捕虜たちが、
敵に有利となるような情報をぺらぺらと喋ったのだろうか。
今の常識では考えられない事だが、その考えられない事が実際におきていた。

―捕虜に関する無知―

ジュネーブ条約は捕虜の権利と義務について定めたものである。
日本が条約に批准していなかったこともあり、
捕虜となった場合に、どうしたらいいのか知っている人間は皆無だった。

どう対処したら良いのかもわからない日本兵捕虜は
敵に喋って良いことと
喋ってはいけないことの区別も分からず、
米軍の誘導尋問に簡単に乗せられてしまっていた。


捕虜となった者は名前、階級、軍籍番号を告げなければならず、
それ以外は黙秘する権利が与えられていた。
ジュネーブ条約は捕虜になった者と、
捕虜を確保した国との法的な関係を規定している。
捕虜に与えられる一定の権利も補償されている。

黙秘する権利が与えられていたのだから、
いかなる情報もしゃべらないと決めた捕虜にとって、
沈黙は間違いなく最大の武器だった。
しかし、それを知らない日本兵捕虜はその武器を殆ど行使しなかった。


―所属感情の喪失―

丸山真男は日本兵捕虜の状況と
ナショナリズムの関係を結びつけて以下ように述べている。

一口で言えば、われわれのナショナリズム意識は
「うちわ同士」と「よそもの」の所属感情―
集団的地域的な所属感情が中核になっていて、
民族自決という主体的な意識の面が非常に弱いということです。

日本人の愛国心はグループでもっている所属と団結の意識であって
土着性から、あるいはグループから切り離されても、
たった一人で未知の異国でがんばるような愛国心、
あるいは「戦場にかける橋」という映画で典型的に出ているような、
ジョン・ブルの将校捕虜のふてぶてしい愛国心―
頽勢にたじろがず、むしろいよいよ闘志をわかすような
腰の強い愛国心は、あれほど忠君愛国をたたきこまれた
大日本帝国でも存在に乏しかったんですね。
ファナチズムといってもグループの勢いで
ワァーッと気勢を上げるということだった。



日本は他国のように国際赤十字を通した
捕虜救出活動は行っておらず。
捕虜となった日本兵を見放し、何ら対策をとらなかった。
従って、捕虜たちの中では名誉をもって祖国に帰還することを
諦めた者も少なくなく、
第三国の永住を希望する者もいた。

国に見放され「恥」となった日本兵捕虜の多くが、
所属と団結の意識を喪失していたと考えられる。
だからこそ、米軍が驚いたような
馴れ馴れしく話す日本兵捕虜の姿があったのだろう。


■怠慢の責任

日本兵捕虜たちが、軍事情報を喋ってしまったことは、
日本にとって大きな損害だった。

日本の敗因の一つだと言ってもいい。

この損害の責任はどこにあるのか。
―それは―

捕虜になった場合、
軍人としてどのような行動を取るべきかの教育を全く怠り、

―生きて虜囚の辱を受けず―
捕虜になるくらいなら、潔く死を選ぶという、
あまりに安直で短絡的な解決方法に甘んじ、

捕虜となった日本兵の救出措置を行わず放置し続けた、
日本の指導者の怠慢に有った。


参考文献:戦陣訓の呪縛 捕虜たちの太平洋戦争
     丸山真男 座談「六」1966

※次回へ続く
スポンサーサイト

| 戦争責任の探求 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

外資企業の献金緩和

キヤノン


外資企業の献金緩和 資金確保で自民検討

自民党は外国人の持ち株比率が高い企業からの
政治献金の規制を緩和する方向で検討に入った。
外国人投資家などの出資を受ける企業が増え、
現行の規制が実情にそぐわなくなってきたと判断した。
今後、具体的な基準を詰め、今国会に政治資金規正法改正案を提出、
2006年度中の施行を目指す。
現行法は政党や政治家が外国勢力から影響を受けることを排除するため、
外国人や外国法人に加え「外国人や外国法人などが主たる構成員である団体」
からの政治献金を禁止。
総務省などは「株式会社の場合、発行済み株式数のうち
外国人や外国法人の保有割合が50%を超えた企業が対象になる」
との見解を示している。
日経新聞


■政党助成金と献金の「二重取り」

政治資金規正法は政治資金の透明化を目的に1948年に成立したが、「ザル法」と呼ばれるほど抜け穴が多く。
政治家の汚職事件が起きるたびに法が改正されている。

リクルート事件後の1994年の改正においては、
5年間の執行猶予機関を設け、企業や業界団体からの献金を禁止し
代わりに国民の税金によって資金を補う、政党助成法が成立した。

しかし、猶予期間が過ぎた2000年以降も、
政治家個人への献金は禁じたものの、
政党に対する企業の献金は以前認められたままである。

政党助成金と企業献金の「二重取り」を平然とやっているのが現状である。

政党助成金

自民党  168億4600万円(14億2700万円増
民主党  104億7800万円(17億1400万円減右斜め下)
公明党  28億5800万円(1億1300万円減右斜め下)
社民党  10億600万円(2200万円減右斜め下)
国民新党 2億6600万円
新党日本 1億6000万円
※議員一人当り4687万円 国民一人当たり250円



特定の政党を支持する支持しないは別として
年間317億3100万円もの税金が政党に対して導入されている。
しかも、この多額な政党助成金。使い道は自由である。

■政府の思惑と合致

政治資金規正法第22条の5
何人も、外国人、外国法人又はその主たる構成員が
外国人若しくは外国法人である団体その他の組織から、
政治活動に関する寄附を受けてはならない。



次期経団連会長のキヤノン会長の御手洗氏の
現行の政治資金規正法に関しての見解

グローバリゼーションが進む中で、主要株主が外国人であるからといって
その企業が社会貢献に参加できないというのはおかしい
米国にはそうした規制はない
産経新聞インタビューより



今回の規制緩和の動きは、「財界総理」と呼ばれる経団連会長と
政府の思惑が合致した結果であろう。

ちなみに米国は企業献金は禁止されており、PACもしくは個人献金に
限られている。フランスは全面禁止である。

■「政策をカネで買う」外資企業

「自民党の金庫」と呼ばれた経団連は
度重なる汚職事件を期に、1993年に献金を止めると豪語していた。
しかし、小泉内閣が発足した頃から、10年ぶりに献金を復活し、
社会貢献を名目に、経団連は20億円もの多額の献金を
自民党に対して行っている。
しかも、外資系企業が増えたからといって、
経団連からの献金額が減っているのかと言えば、
全くそうではなく
。むしろ年々増加傾向にある。
経団連は今後も献金額を増やし続ける方針だという。

企業と政治の癒着をなくす為に、
政党助成金が使われるようになったにも関わらず
献金が益々増えていくというのは一体どういうことなのだろうか。

しかも「政策をカネで買う」権利は、日本企業だけに留まらず、
外資系企業にも与えられるべきだというのである。


■あらゆる職種に外国人労働者を

「あらゆる職種に外国人労働者を」
現経団連会長である奥田碩氏はこのような方針を持っており、
小泉政府に対しても積極的に働きかけている。
外国人のビザ解禁なども、その一貫だと言えるだろう。

経団連と小泉内閣が推進するグローバリズムとは、
日本の若者が失業に苦しもうが、年間3万人が自殺しようが、
格差が拡大して下層階級が生まれようが弊害にはならないようである。

経団連会長曰く「企業や政府のせいにして甘えているだけ」
約に立たない日本の若者を雇うよりは、
トヨタやキヤノンの工場で日雇いや派遣社員として働く
労働コストの安い外国人労働者のほうが、
遥かに利便性があるというのであろう。

外国人が差別なく自由に働くことは推進されるべきだが、
健全な競争をする土壌すらない状況において
目先の利益に捉われた拡大論を振り回すのは誤りである。

外国人の犯罪による治安の深刻化は勿論。
失業に苦しむ日本の労働者が激しい就職競争を繰り広げる中に
競争相手として外国人留学生や外国人労働者を送り込むというのは理解に苦しむ。

■既得権を排除するという小泉改革の矛盾

お金の掛からない「小さな政府」を目指すといいながら、
使い道も分からない政党助成金を受け取り、
企業献金を増やそうとする政府。


既得権を排除し、官と民業の癒着をなくすといいながら、
法律を捻じ曲げてでも、外国企業の既得権を認めさせ、
利権をめぐって経団連と癒着する政府。


小泉改革のいう既得件の排除とは、
改革に従わない者の既得権を排除し、
改革に従う者の既得権は守るという全く矛盾したものであることは
言うまでも無いだろう。

外資企業の献金緩和。私は断固反対する。

| 時事 | 23:07 | comments(1) | trackbacks(0) | TOP↑

≫ EDIT

三つの”不”




新・東洋思想

■はじめに

長らく時間が経ってしまいました。
更新を楽しみにされていた方には、
お詫び申し上げたいと思います。
この度、「東洋思想ブログ」から
「新・東洋思想ブログ」へとリニューアル致しました。
私が普段考えていることを、普段の言葉で綴っていけたらと思っています。
つたない文章力でお見苦しい点もございますが、
お付き合いいただければ幸いです。

三つの”不”

まずは、こんなエピソードをご紹介させて頂きます。

日本の傀儡政府とも呼ばれた南京国民政府の首班、
そして、中国では漢奸(売国奴)と呼ばれている、
汪兆銘に関するエピソードです。
汪兆銘の人物評価は、諸説あり、定まりませんが、
一般的に申し上げますと、日中両国に和平が必要であり、
共産主義と戦い国を救うべし(和平反共救国)という
政治信念をもった人物でした。
一時期は孫文の後継者とも目され、終戦間際、
東京で開催された大東亜会議においても、
南京国民政府代表として招かれており名演説を行いました。
学生時代には日本に留学(法政大学)を経験しており、
知日派としても知られています。

そんな汪兆銘が、当時外務次官を勤めたことがある
黄田多喜夫に出会った際、
激しい口調でこのように語ったといわれています。

日本政府に対して言いたいことは山ほどある。
それを要約すると三つの”不”に到達する。
”上下不貫徹”、”前後不接連”、”左右不連携”
上役がよろしいと受けても下が聞かん。
前任者が言ったことを後任者はそんなことは
俺は全然知らんと問題にしない。
左右の連携もまったく欠けている。
外務省がいい事をいってくれたと当てにしていると、
一つも陸軍は聞いてくれない。
外務省が言った事など俺が知るかという態度だと。
これが海軍・陸軍・外務省全部に通じる。
自分は重慶から引っ張りだされて舞台に立たされ、
やろうと思っても何もできません。
なぜならこの3つの不の為です。
<黄田多喜夫談(元外務次官)>


誤解されないようにお話しておきますが、
汪兆銘という人物は決して怒りっぽい短気な性格の
持ち主ではありません。
口数は少なく、喋るにしても注意深く言葉を選んで、
常に控えめな態度で接する人物でした。

汪兆銘の言わんとすることは、
丸山真男のいう「タコツボ型」
そのものだと私は思います。
たしかに、傀儡と呼ばれたかもしれません
しかし、大東亜共栄圏の一代表国として、親日政府代表者として、
日本と密接に関わってきた汪兆銘から発せられたこの言葉を、
私達は重くお受け止めるべきではないでしょうか。

会社勤めをされている方で、部署間の連携が取れず
苦悩した経験は誰しもあると思いますが。
日々ニュースを賑わす不正事件をご覧下さい。

上下不貫徹―部下が勝手にやった事だし私は指示した覚えはない。
前後不接連―前任者のやった事だから新任者の私には分からない。
左右不連携―他部署のやった事など私は知らない。

そんないい訳が毎日のように繰り返されています。
日本は戦後復興し経済大国になったかもしれませんが、
構造的には70年前から全く進歩していません。

| 思想 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

2006年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年04月

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。