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戦争責任の探求 日本兵捕虜

東條

戦争責任の議論おいて、
「捕虜」の問題は必ずを言っていいほど持ち上がる。
捕虜の虐待・殺害など日本兵による捕虜の処遇の問題が中心であるが、
日本兵捕虜に関してはあまり議題にならない。

しかし、日本兵捕虜の問題について戦争責任論では外すことのできない
重要なテーマであると私は思っているので
第一回から述べる事にする。

■戦陣訓

戦陣訓 第八「名を惜しむ」

恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、
愈々奮励して其の期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。


戦陣訓は、1941年(昭和16年)1月8日、
陸軍大臣・東条英機が示達した、
陸軍軍人としてとるべき行動規範を示した文書である。

「生きて虜囚の辱を受けず」とは、
捕虜になることは恥であり、潔く死を選べという意味であるが、
元々陸軍に対するものだったので、
必ずしも海軍に浸透していたものではなかった。

しかしながら、全体的に見れば当時の軍人や
国民に大きな影響力をもっていたといえる。

家族が村八分になったり、
妹や弟の結婚に支障をきたすことを極度に恐れ、
多くの日本兵が命を投げ出した事も事実であった。

それだけ大きな影響力があり、
帝国軍人として一番苦痛であろうとされる「恥」を
心ならずとも受け入れなければならなかった日本人がいた。
それが日本兵捕虜である。

捕らえられた理由は、
戦場において絶望的状況に追い詰められ、
自暴自棄になって投降した者、或いは、戦闘で瀕死の重傷を負って、
自決する力もなくそのまま捕らえられた者など様々である。

兎に角、捕らえられたどの兵士も、「捕虜」という自分の立場を、
とてつもなく「恥じていた」


■驚くべき日本兵の行動

当初の内、捕虜となった事を恥じていた日本兵は、
殆ど深刻そうな顔をして心を閉ざし、
尋問官に対しても黙り込んでいた。
煙草を与えようがお茶を出そうが、殆ど打ち解けなかった。

ところが、何度も面会しているうちに、
日本兵は驚くべき行動を取るようになった。

尋問する側が驚くほど馴れ馴れしく話すようになり、
兵力の配置、装備の事など、
「こんなこと言ってもいいのか」と思うほど、
ありとあらゆる有益な情報を喋りだしたのである。


■日本兵捕虜は重要な情報源

卑屈なまでに戦陣訓を己に課した日本兵が、
意図も簡単に自白してしまうのは米軍にとってまさに驚きで、
当時残忍な黄色人種として軽蔑していた日本兵が、
重要な情報源になるとは思いもしなかった。

米軍は積極的に日系人を使って捕虜を尋問し、
日本兵からありとあらゆる重要な軍事情報を引き出し、
結果的に日本軍による神風攻撃など重要な軍事作戦を事前に予測し、
戦況を有利に進めていった。

■驚くべき行動の要因

日本兵は祖国の為に、天皇の為に、家族の為に、
米英を倒すべく敵愾心を燃やして実に勇敢に戦った。

では、なぜそのような日本兵捕虜たちが、
敵に有利となるような情報をぺらぺらと喋ったのだろうか。
今の常識では考えられない事だが、その考えられない事が実際におきていた。

―捕虜に関する無知―

ジュネーブ条約は捕虜の権利と義務について定めたものである。
日本が条約に批准していなかったこともあり、
捕虜となった場合に、どうしたらいいのか知っている人間は皆無だった。

どう対処したら良いのかもわからない日本兵捕虜は
敵に喋って良いことと
喋ってはいけないことの区別も分からず、
米軍の誘導尋問に簡単に乗せられてしまっていた。


捕虜となった者は名前、階級、軍籍番号を告げなければならず、
それ以外は黙秘する権利が与えられていた。
ジュネーブ条約は捕虜になった者と、
捕虜を確保した国との法的な関係を規定している。
捕虜に与えられる一定の権利も補償されている。

黙秘する権利が与えられていたのだから、
いかなる情報もしゃべらないと決めた捕虜にとって、
沈黙は間違いなく最大の武器だった。
しかし、それを知らない日本兵捕虜はその武器を殆ど行使しなかった。


―所属感情の喪失―

丸山真男は日本兵捕虜の状況と
ナショナリズムの関係を結びつけて以下ように述べている。

一口で言えば、われわれのナショナリズム意識は
「うちわ同士」と「よそもの」の所属感情―
集団的地域的な所属感情が中核になっていて、
民族自決という主体的な意識の面が非常に弱いということです。

日本人の愛国心はグループでもっている所属と団結の意識であって
土着性から、あるいはグループから切り離されても、
たった一人で未知の異国でがんばるような愛国心、
あるいは「戦場にかける橋」という映画で典型的に出ているような、
ジョン・ブルの将校捕虜のふてぶてしい愛国心―
頽勢にたじろがず、むしろいよいよ闘志をわかすような
腰の強い愛国心は、あれほど忠君愛国をたたきこまれた
大日本帝国でも存在に乏しかったんですね。
ファナチズムといってもグループの勢いで
ワァーッと気勢を上げるということだった。



日本は他国のように国際赤十字を通した
捕虜救出活動は行っておらず。
捕虜となった日本兵を見放し、何ら対策をとらなかった。
従って、捕虜たちの中では名誉をもって祖国に帰還することを
諦めた者も少なくなく、
第三国の永住を希望する者もいた。

国に見放され「恥」となった日本兵捕虜の多くが、
所属と団結の意識を喪失していたと考えられる。
だからこそ、米軍が驚いたような
馴れ馴れしく話す日本兵捕虜の姿があったのだろう。


■怠慢の責任

日本兵捕虜たちが、軍事情報を喋ってしまったことは、
日本にとって大きな損害だった。

日本の敗因の一つだと言ってもいい。

この損害の責任はどこにあるのか。
―それは―

捕虜になった場合、
軍人としてどのような行動を取るべきかの教育を全く怠り、

―生きて虜囚の辱を受けず―
捕虜になるくらいなら、潔く死を選ぶという、
あまりに安直で短絡的な解決方法に甘んじ、

捕虜となった日本兵の救出措置を行わず放置し続けた、
日本の指導者の怠慢に有った。


参考文献:戦陣訓の呪縛 捕虜たちの太平洋戦争
     丸山真男 座談「六」1966

※次回へ続く
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